愛のために殺す

殴るのも守るのも同じ筋肉だ。優しく抱きしめることしかできないやつに野牛から恋人を守れるか?守れまいて。そんなMr.childrenみたいなやつにバッファローは倒せまいて。やだな~、Mr.childrenは野牛に恋人殺されたらそれはそれで無力な自分を歌うんだろうなあ。歌うな!禁止!野牛に恋人殺されたときは歌っちゃだめ。インスト!とか言うとさ~私の心の大衆が「野牛なんて見たことない、また意味のわからないことを言ってるよ」とスカした感じで小バカにしてくるんだけど、たとえだから。比喩だから。わたしなりのユーモアだから。面白くなくってもこっちはそのつもりなんだから。もう放っておいてよ!という塩梅ニィーーーーーーーーーー、単一であるはずの自己の中で喧々諤々でさあ。なんでこんなキグルイじみたことをするかというと、会社に入って以来、上長から「言おうと思ったことを一度自分の中で考えなさい」と言われ続けているからなんですね。だから自分の中で自分の監査機関を設けた。それが私の中の大衆なんですね。あ~増えそう、人格が。

な~んちって、ね、とにかく力っていうのは大切だね。銃社会アメリカは人殺そうとして銃を持つのではなくて、人を守るために銃を持っているんですね。宗教、習慣といった人間の背骨となる部分が異なる民族が集まり、暮らすっていう状態を道徳や法律だけで統治するっていうのは現実的じゃないものね。秩序のためには暴力が必要なので成増!間違えた、あります!